プリサイ・ディリについて

<活動日>
日時:毎土曜 18:00-20:00
場所:東京都目黒区目黒4-6-6バライ・インドネシア M2F体育館
問い合わせ先:pd.jepang ℗ gmail.com
*メールでお問い合わせの際は、℗を@に変換してください。

講師紹介等はPD日本のホームページ PC用 / 携帯用をご覧ください。

<PD創始者の歴史>

若き日からの長い修行を経たRaden Mas[1] Soebandiman(スバンディマン) Dirdjoatmodjo(ディルジョアトモジョ)師により、PerisaiDiri派は創設された。RM Soebandiman Dirdjoatmodjo師はPakoe Alam2世[2]の玄孫に当たるRM Pakoesoedirdjo氏の長男である。

親しみをこめてPak Dirdjoと呼ばれるRM Soebandiman Dirdjoatmodjo師は1913年1月8日のLegi[3]の火曜日にPakoe(パク) Alaman(アラマン)に生まれた。9歳の時には既にプンチャック・シラットに深く打ち込み、地元の友人たちのシラット指導者として信頼されるまでになっていた。シラット以外にも、師はPakoe Alamanの宮殿で伝統舞踏を学び、これを通じてWasiとBagong Kusudiardjoと親交を結んだ。

1930年、プンチャック・シラットの達人と信仰の師を求め、Dirdjo師は故郷である中部ジャワのジョグジャカルタを体一つで離れ、東ジャワのJombangに向った。そこでDirdjo師はHasan Basri氏からシラットを学んだ。加えて、信仰に関わる知識をTebu Irengイスラーム塾で習得した。この地でDirdjo師は順調に厳しい修行を達成した。この後、Dirdjo師は西に戻り、中部ジャワのソロに向い、Sayit Sahab氏に師事し、シラットと信仰の知識を深めた。信仰の指導者でもあった祖父のKi[4] Jogosoerasmo氏からも護身術の知識と技術を学んだ。その後、同じく中部ジャワのスマランに向かい、Setia Saudara派を率いるSoegito氏に師事した。Setia Saudara派とは、同地のRandu Guntingイスラーム塾にて実践されていた護身術である。

Dirdjo師はスマランから西ジャワのチレボンに向った。チレボンに到達する前に、その手前にある同じく西ジャワのクニガンに立ち寄った。シラットの達人の地として有名なこの地において、Dirdjo師は飽きることなく達人たちから数々の知識を学んだ。1936年、中部ジャワのバニュマスにおいて、Dirdjo師は自身にとって最初のシラット道場Eka(エコ) Kalbu(カルブ)を開いた。

修行の旅の成果に納得したDirdjo師はジョグジャカルタに戻り、Taman Siswa Wirogunanでシラットを教え始めた。ここはDirdjo師の親戚でもあるKi Hadjar Dewantoro師によって始められたシラット道場である。シラットの指導に多忙なこの頃に、Dirdjo師は中国武術Siauw Liem Sie(少林拳)の達人Yap(ヤップ) Kie(キ) San(サン)氏と出会った。自分の弟子の一人と親善試合を行った若きDirdjo師の才能に深く感銘受けたYap Kie San氏は、特別にDirdjo師を弟子として迎え入れた。

修行の旅で身につけた知識とYap Kie San氏から学んだSiau Liem Sieの知識を基に、Dirdjo師は自身の護身術の知識を再構築し始めた。1947年、Dirdjo師はジョグジャカルタの教育文化省の一部門である、Mochammad Djoemali氏を長とするプンチャック・シラット部の一員となった。1954年には、東ジャワ州の教育文化省プンチャック・シラット部代表として、一時的にスラバヤに派遣された。

1955年に正式にスラバヤの町に異動となり、同年7月2日、Dirdjo師はPerisaiDiri派を立ち上げた。この創設には、同じく教育文化省で働いていたImam Romelan氏の支援があった。Perisai Diriとは、自身(Diri)を守る(Perisai)、という意味がある。

Dirdjo師は修行とSiau Liem Siwを通じて習得した知識と経験を、一つのシラット体系とすることに粉骨した。Dirdjo師のシラットは人体構造と調和する自然なものであり、また、科学的にも証明可能である。

1983年5月9日、Perisai Diri派シラットの創始者であり、Keluarga Silat National  Perisai Diri( PersaiDiri派、略称PD) の創設者である、我らが敬愛するRM Soebandiman Dirdjoatmodjo師が逝去された。師の功績を讃え、1986年にRM Soebandiman Dirdjoatmodjo師に対し、インドネシア政府よりPendekar Purna Utamaの称号が与えられた。

<PDの技術について>

RM Soebandiman Dirdjoatmodjo師が発展させたPDシラットの中核をなすのは、19の技である。これらは全て、人体構造と調和する。それぞれの技はそれぞれに特徴があり、その特徴とは、重心と体重の移動、攻撃を捉え打ち崩すこと、関節技、相手を避けて放り出すこと、押し出すこと、手・足・体を使って攻撃すること、呼吸法、エネルギーの放出、武器の扱い方、である。

PDでは武器の扱い方も教えている。必修の武器はpisau(ナイフ)、pedang(刀)、そしてtoya(長いラタンの棒)である。この基本となる3つの武器の扱い方を習得することで、門下生は他の武器も扱えるようになる。他の武器とは、pentungan(棍棒)  rantai (鎖) teken(杖)  傘、clurit(鎌) trisula(三叉)  golok(短剣) 日本刀、tombak(槍) などである。このような素手による技と武器を扱う技術の他に、門下生が自身と人間を理解し学ぶための精神修養の方法も、PDでは教えている。門下生には強い自尊心と紳士的態度、そして賢明な思考と行動が期待される。

PDにおける精神修養には2つの面がある。まず、全能なる神への信心を持つ強く高貴で善良な人間であれ、と門下生に教えている。そして次に、Dirdjoatmodjo師の教えに基づく心の鍛錬で、自身を守ることでより全能なる神に近づく、ということである。シラットの技と精神修養、この2つが調和することで、門下生はより思慮深く慎み深くなり、高慢から遠ざかり、そして常に創造主の存在を意識できるようになる。この調和こそが、人類の崇高にして最後の目的、創造主である唯一神への奉仕へと導くのである。

<現代のPD>

PDの本部は現在、東ジャワのスラバヤに置かれている。支部は全国にあり、また、オーストラリア アメリカ 日本 オランダ スイス イギリス ドイツ 東ティモール シンガポール と海外にも10の支部がある。

PDは定期的に競技会を開催している。開催される競技会とは

1)     支部・州対抗競技会(過去7回開催)

2)     大学対抗競技会(過去21回開催)

3)     組織対抗競技会(過去3回開催)

4)     全支部対抗国際競技会(過去5回開催) *以上全て2007年時世界大会パンフレットデータ

PDからは多くのインドネシア代表プンチャック・シラット選手が輩出され、彼らは各種大会において好成績を収めている。

<PDの正式名称>

通常、プリサイ・ディリ略してPDと呼ばれるているが、正式名称はKeluarga Silat National Indonesia Perisai Diri(プリサイ・ディリ式プンチャック・シラット)である。


[1] RadenMas(略:RM) : 王族の血統に連なる男性につける尊称

[2] PakoeAlam2世 : Pakoe あるいは Paku Alam 2世はジョグジャカルタを治めた

[3] Legi ; ジャワ暦5曜日の5番目

[4] Ki : 宗教指導者につける尊称

広告
バライ・インドネシアへの行き方
目黒駅西口より徒歩約15分。 (目黒通りを山手通り方向に直進し、横断歩道橋を過ぎた最初の角にある骨董屋さんを右折、突当りを左折) バス利用の場合は、目黒駅西口より東急バス(どれでも可)に乗り、3つ目のバス停「元競馬場」下車、徒歩2分。