ムルパティ・プティについて

<流派名の由来とその哲学>

Merpati(ムルパティ) Putih(プティ)という名称の意味はジャワ語の一文「Mersudi Patitising Tindak Pusakane Titising Hening」の略である。これを日本語にすると、”平穏で真実を求めよ“ となる。

つまり、MP門下生は全ての行動に心と思考を適応させることが期待されるのである。これ以外にも「素手のプンチャック・シラット流派ムルパティ・プティ」が持つ哲学として、「我が貢献に価値はない、しかし、この誠実は真実である。」がある。

<流派の歴史>

MPは先祖代々からの遺産である。元来は宮殿の王族にのみ代々伝えられていたものだが、尊師(流派創設者の尊父)Sang(サン) Guru(グル)の遺言により、MPの英知を国家繁栄のために開放することが認められた。

我らの流派の源となる知識は当初、王族のKartosuro(カルトスロ)氏が保持していた。これが後にBPH Adiwidjojo(アディウィジョヨ) (初代GRAT[1])氏に伝わった。

第3代GRAT のR. Ay. Djojoredjoso(ジョヨルジョソ)氏の後継から、彼女に引き継がれた知識は継承者それぞれの特性に合わせて分断された。彼女の4人の子のうち、Gagak(ガガ) Samudro(サムドロ) 氏は医療としての知識を継承し、一方でGagak(ガガ) Seto(セト) 氏には言葉の知識が引き継がれた。護身術の知識は第3子のGagak(ガガ) Handoko(ハンドコ) (第4代GRAT)氏に継承された。このGagak Handoko氏に継承された知識こそがSang GuruことMas(マス) Saring(サリン) 氏に伝えられ、後にMas(マス) Poeng(ポン) と Mas(マス) Budi(ブディ)に引き継がれ、「素手のプンチャック・シラット流派ムルパティ・プティ」となった。

現在に至るまで第4代GRATの兄弟に伝えられた医療と言葉の知識は公にされておらず、いずこへ引き継がれたものか探求の途上にある。

当初、この護身術としてのプンチャック・シラットの知識は宮殿警護の任に就く者たちにのみ教えられていた。

しがし、1963年4月2日のジョグジャカルタにおける流派設立以来、国内に85以上の支部と4つの海外支部、そして道場(練習場所) の数は415を数えるまでに発展した。(1993年時点のデータ)。広く全国に普及し、登録会員数は少なくとも250万人を数え、積極的に活動を継続しているメンバーだけでも10万人近くとなる。

MPの尊師はBpk. Saring(サリン) Hadi(ハディ) Poernomo(プルノモ)師であるが、一方で、尊師から遺産として知識を継承し、流派としてのMPを創始した家元はPurwoto(プルウォト) Hadi(ハディ) Purnomo(プルノモ) (呼び名はMas(マス) Poeng(プン)) と Budi(ブディ) Santoso(サントソ) Hadi(ハディ) Purnomo(プルノモ) (呼び名はMas(マス) Budi(ブディ)) である。この兄弟は師匠と呼ばれる最後の世代であり、つまり、第11代GRATである。

「素手のプンチャック・シラット流派ムルパティ・プティ」は宮殿における護身術にその源をもち、ディポネゴロ王家にまで辿ることができる。

以下が「素手のプンチャック・シラット流派ムルパティ・プティ」となる知識が継承されてきた系譜である。

初代  BPH ADIWIDJOJO(アディウィジョヨ)

第2代 PH SINGOSARI(シンゴサリ)

第3代 R Ay DJOJOREDJOSO(ジョヨルジョソ) *女性

第4代 GAGAK(ガガッ) HANDOKO(ハンドコ)

第5代 RM REKSO(レッソ) WIDJOJO(ウィジョヨ)

第6代 R BONGSO(ボンソ) DJOJO(ジョヨ)

第7代 DJO(ジョ) PREMONO(プルモノ)

第8代 RM WONGSO(ウォンソ) DJOJO(ジョヨ)

第9代 KROMO(クロモ) MENGGOLO(ムンゴロ)

第10代 SARING(サリン) HADI(ハディ) POERNOMO(プルノモ)

第11代 POERWOTO(プルウォト) HADI(ハディ) POERNOMO(プルノモ) と BUDI(ブディ) SANTOSO(サントソ) HADI(ハディ) POERNOMO(プルノモ)

次代継承者[2] NEHEMIA(ネヘミア) BUDI(ブディ) SETIAWAN(スティアワン) (Mas Budi第2or3子) と AMOS(アモス) PRIONO(プリオノ) TRI(トリィ) NUGROHO(ヌグロホ) (Mas Poeng第3子)

尊師から我々に託されたMPの知識を門下生は必ず実践しなければならない。つまり、

誠実かつ慈悲深くあれ

自尊心を失うなかれ

調和を重んじよ

心からこれらを実践することで、神への信仰が呼び覚まされる。

2013年3月29日に新会長としてTaufan Eko Nugroho Rotorasiko氏が選出された。なお前会長は、Khusus IIの段位をもつ Dr. Ing. Fauzi(ファウジ) Bowo(ボウォ) (前ジャカルタ特別州知事)氏であった。

<MP創始者の略歴>

POERWOTO(プルウォト) HADI(ハディ) POERNOMO(プルノモ)師、あるいはより広く親しまれている呼び名として、Mas(マス) Poeng(プン)師は、MP創始者2名のうちの一人であり、また、師匠である。Siti(シティ) Haryanti(ハルヤンティ)(1947年4月7日生、呼び名はMbak(ンバ) Yanti(ヤンティ))と結婚し、Daniel(ダニエル) Ekowanto(エコワント)(1968年2月3日生)、Mikail Dwi Kurniawan(1969年7月12日生)、Amos(アモス) Priyono(プリヨノ) Tri(トリ) Nugroho(ヌグロホ)(1970年1月25日生)の3人の息子をもうけた。2度目の結婚相手であるRahayu(ラハユ)との間に子供は授かっていないが、弟のMas Budiの息子Rizky(リズキ) Darmawan(ダルマワン)を夫婦の子として迎え入れた。Mas Poeng師自身はR.SARING(サリン) HADI(ハディ) POERNOMO(プルノモ)を父とする13人兄弟の長子であり、1944年12月1日にジョグジャカルタのPengok(プンゴッ)にて生まれた。師は8ヶ月という相当な早産だったにも関わらず、健康に育った。

他の子供たちと変わらない幼少期を過ごしたが、いくつかの点で異なっていた。師は喧嘩好きだったのである。日常的にMasPoeng少年は、誰とでも、何人とでも、何処ででも、たとえ学校ででも、すぐに喧嘩を起こした。この喧嘩好きな性格のため、彼の名前は周囲で有名になっていった。喧嘩好きな性格であり、いろいろな武器を使いながらも、決して相手に怪我を負わせたいという気持ちがあるのではなかった。

父のPak Saring尊師は、この状況を捨て置くことはしなかった。MasPoeng少年の喧嘩好きな性格を憂い、知識を継承させる前にある義務を課した。まず、尊師はMasPoeng少年に対し、真の護身術の本質とはなにか理解するように諭した。武器を持った相手を素手で制圧するいくつかの型を示し、そして、少年をわざと刺激し、武器を持って自分を攻撃するように仕向けた。父の計にはまったMasPoeng少年はとうとう父に挑みかかったが、彼の攻撃は何一つ届かなかった。尊師のほんの少しの体の動きが、少年の攻撃を全く封じてしまったのである。彼は終いには壁に頭を打ち、怪我をしてしまった。尊師がその怪我にいくつかの薬草を当てると、すぐに治癒した。これ以降、MasPoeng少年は武器を持つことをやめ、14歳になったばかりの年齢で自宅の庭、あるいはParangkusumo(パランクスモ)海岸で、父と毎夕の練習に励むようになった。これは1958年頃の話である。練習の日々が1ヶ月ほど続いた後、尊師は第3子でMasPoengの弟、MasBudiも練習に参加させるようになった。

父との修行だけではなく、MasPoeng師は当時のジョグジャカルタで有名であった宗教指導者、KH Buchory(ブホリ) 氏、Mbah Joyo(ジョヨ) 氏、KH Syuhada(シュハダ)氏などに師事した。師は彼らの愛弟子として、KH Syuhada(シュハダ)氏からBenuk(ブヌッ)という名前をもらうまでになった。この名は、穏やかな水、あるいは、全てを飲み込む水、という意味である。

数年間の修行ののち、MasPoeng師とMasBudi師は父を通して修養を得、1961年から周囲の友人たちに稽古をつけるようになった。1962年に尊師は2人の息子に対し、彼らが継承した知識の発展を託した。MasPoeng師は、BayuManunggal派を率いるMbah(ンバ) Joyo(ジョヨ)氏から、彼女の流派を引き継ぐようにお願いされたこともあった。彼女の流派を引き継ぐべき血縁や後継者が居なかったからである。しかし、師自身、父の教えを発展・拡大させるという大きな責任を負っているため、この依頼はお断りした。そして1963年4月2日、MasPoengとMasBudiの兄弟は、一つの流派を創設しMerpati(ムルパティ) Putih(プティ)と名づけた。

[1] GRAT:王族に連なる血縁者につける尊称

[2] 研鑽を積んだ師匠クラスとは別に、始祖の血縁から継承者が選出されている。

バライ・インドネシアへの行き方
目黒駅西口より徒歩約15分。 (目黒通りを山手通り方向に直進し、横断歩道橋を過ぎた最初の角にある骨董屋さんを右折、突当りを左折) バス利用の場合は、目黒駅西口より東急バス(どれでも可)に乗り、3つ目のバス停「元競馬場」下車、徒歩2分。